ラオス侵攻作戦

ラオスにおけるアメリカの軍事行動が目立ってくるのは、1959年の後半項からですが、南ベトナムにおける戦争の拡大とともに、ラオスにおけるアメリカの特殊戦争は半ば公然化されてきました。特にアメリカのラオス侵攻作戦と言われるのは、71年2月8日から始まり、3月25日に南ベトナム政府軍の撤退で完了した、ラオス南部への作戦を言います。これはベトナム化を促進するニクソン大統領が南ベトナムを安定させ、その後方を固めるために、南ベトナム北端に近いラオバオ峠がら西方40キロのラオス領チェポンに向けて、いわゆるホー・チ・ミンルートを粉砕し、国道第9号線を確保する目的で始めたものです。アメリカはB52戦略爆撃機、戦闘爆撃機、特に新鋭ヘリコプター数百機をフル出動させ、アメリカ空軍の全面的支援のもとに、レンジャー部隊を含む南ベトナム政府軍の精鋭2万から2万5千人を投入して、この作戦を決行しましたが、ラオス解放軍や入民武装勢力の巧みな包囲網に陥り、予想以上に激しい大力攻撃の前に大半の兵力を失って敗退しました。ラオス愛国戦線側では2月8日以来、六週間にアメリカ・南ベトナム軍1万6千人以上を殲滅、飛行機490機以上を撃墜破し、軍用車両580両以上、大砲100門以上を破壊損傷させたと発表しました。この戦勝を祝賀する集会がインドシナ各地で開かれました。

インドシナとベトナム戦争

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