インドシナ人民戦争

ベトナム民主共和国独立後、フランスのベトナム再侵略による戦争は、一般に抵抗戦争、もしくは第一次インドシナ戦争と呼ばれています。その後アメリカは南ベトナムで傀儡政権を樹立し、南ベトナム人民の抵抗を抑圧するため、傀儡軍を正面に立てて特殊戦争を継続しましたが、南ベトナム解放民族戦線指導のもとに人民の抵抗はますます組織的に激化し、1965年来、アメリカは兵力の増強を図るとともに、アメリカ軍自らが先頭に立つ局地戦争ヘ拡大し、北爆を開始、ラオスでは特殊戦争を展開しました。この段階ではまだ戦局は南ベトナムが中心でしたが、70年4月、アメリカと南ベトナム政府軍は聖域奪取を名目にカンポジアへ侵攻し、一方、インドシナ側では4月24日から25日、南べトナム共和国臨時革命政府、ラオス愛国戦線、カンポジア民族統一戦線、ベトナム民主共和国の各代表が相会して、インドシナ人民首脳会議を開き共同声明を出し、インドシナ三国四方面は団結を強化して、アメリカ帝国主義侵略者とその手先に反対する闘いに適進する決意を表明した。これによって、従来、ベトナム戦争の名で呼ばれていた戦争は、地域的に南ベトナム、ラオス、カンボジアヘ拡大しただけでなく、インドシナ人民戦争の内容を持つに至りました。さらに71年2月8日、アメリカと南ベトナム政府軍によるラオス南部侵攻とその敗北は、インドシナ人民戦争の火を一層かき立て、燃え上らせる結果となりました。そして、ついに71年1月アメリカとベトナム、続いて同2月ラオス政府とラオス愛国戦線の間に和平が成立し、インドシナの戦火はカンボジアだけに燃え続けるに至りました。人民戦争は、中国の林彪将軍が抗日戦争のときに試みて成功し、ベトナムのボー・グエン・ザップ将軍が抗仏の低抗戦争で大きな成果をあげた戦争でしたが、ボ一・グエン・ザップの人民の戦争・人民の軍隊によれば、それは侵略者の反革命的、反人民的の正義を人民の革命的、人民的正義の力で粉砕するものであり、あくまでも人民勢力に依拠しつつ、ゲリラ、民兵、地方武装勢力、正規軍の三重の構成で民族解放を勝ちとることを戦略戦術としています。インドシナは、その典型的な戦場でした。

インドシナとベトナム戦争

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