戦略村・戦闘村

アメリカは、1962年3月以来、南べトナムで、対ゲリラ戦略としで高い竹垣、有刺鉄線のバリケード、深い堀、地雷で囲まれた一種の強制収容所を造って、農民をここに押しこめました。これが戦略村です。62年中に16,322箇所の戦略村設立を予定していましたが、その半分以上が出来上がったとき、63年11月にゴ・ディン・ジュム政権が打倒され、悪名高い戦略村の大部分が破壊されました。ベトコンはこれを破壊するだけでなくその戦聞施設を活用して戦闘村と称えました。その後、ベトコンの解放区に対抗するために農民を南ベトナム政府側に引きつけておく必要から、アメリカは66年以来、大ががりな平定計画を立てて、事実上、戦略村構想を再現しようとしましたが、68年1月のテト攻勢で完全に崩れ去りました。

インドシナとベトナム戦争

        copyrght(c).インドシナとベトナム戦争.all rights reserved

インドシナとベトナム戦争