ソンミ事件

1968年3月16日、南ペトナムのクアンガイ省ソンミ村ミライ部落で、アメリ力軍がベトナムの老人、婦人、子供など、非戦闘員500名を虐殺した事件。当時、解放民族戦線側では、この事実を発表していましたが、アメリカでは約1年8力月後の69年11月に当時の目撃者によって初めて事実が暴露され、マスコミが大きく取上げてから、アメリカの良心の間題、軍の秩序と命令の間題として注目されました。
ソンミ虐殺事件のカリー中尉に対して、フォートベニングの軍事法廷は、1971年3月31日、終身重労働、兵籍剥奪、給与手当の停止、裁判費用の負担という判決を申渡しました。この裁判そのものが戦争裁判に通ずるものがどうか、あるいは量刑が重いが軽いがなどについても、アメリカ国内の世論は分裂し、ウエストモーランド陸軍参謀総長は、私と第二次大戦戦犯として死刑になった山下大将の役割を比較することはできないと弁明しました。このように力リー裁判が論議を呼んでいるとき、4月1日ニクソン大統領はフォートベニングの軍刑務所からカリー中尉を釈放し、基地内の独身寮に移すとともに、カリー中尉の取扱いについては上訴審後に大統領自ら最終的に処置を決めることを明らかにしたため、内外に新しい大きな波紋を呼びました。

インドシナとベトナム戦争

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