専門家会議

1973年1月8日、ベトナム和平会談の再開に続いて、その下級機関として和平協定成立のため、技術的レベルでの専門家会議が1月12日から開かれました。これは停戦についての取決め、和平成立後の国際監視・管理機構の構成、捕虜釈放の手順など和平交渉の紬部にわたって討議するもので、討議の結論は和平協定の本文ならびに四つの議定書に盛られました。
元々ベトナムは一つであり、1954年ジュネーブ協定による北緯十七度線による境界は、停戦のための暫定的なもので、領土的・政治約なものではなく、南北両ベトナムはやがて平和的に統一されるべきものである。というのがベトナム民主共和国、南ベトナム臨時革命政府などによる一つのベトナム論でした。これに対して54年のジュネーブ協定による境界は軍事的なものであると同時に政治的なもの、これはパリ和平協定第五章で否定されています。南ベトナムは独立した国家となっており、その唯一の合法的な政府はグエン・バン・チュー政権である。というのが二つのベトナム論で、パリ会談でもこの点が論議され、基本的には一つのベトナム論をアメリカも承認しました。

インドシナとベトナム戦争

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