ラオス愛国戦線

第二次大戦後ラオスに起った解放勢力ネオ・ラオ。イサラの後身で、ラオス独立、平和、統一、中立のための統一戦線であるとともに、解放区を建設、支配、愛国中立派と協力して事実上の政権となっていました。ラオス愛国戦線は1956年1月6日に結成され、ジュネーブ協定を完全に実施して、国家の平和、独立、民主と統一を実現する。ジュネーブ協定を破壊し、ラオスの平和と独立を破壊するアメリカ帝国主義とその手先に反対する。結社、集会、言論、出販、信仰の自由など民主的自由権の実行など12項目の綱領を掲げましたが、64年4月6日から12日までサムヌアで第二回大会を開催し、解放区、未解放区からの代表227名の参加のもとに、第一回大会以後の活動を総括し、武装闘争と政治問闘争の結合の上に立って、次ぎの十項目の網領を採択しました。これが愛国戦線の基本路線です。政治的傾向、信仰を間わず、平和と中立を愛するすべての民族団体、個人の団結。62年のジュネープ協定、ラオス三派の他の協定を厳格に実行するため、アメリカ帝国主義と、その傀儡に対する闘争。ジュネーブ協定にもとづく平和・中立政策の完全実施、自力更生と紐のつかない援助の利用。祖国防衛、安全保障のため人民軍と連合警察隊の組織化。1957年憲法のあらゆる民主的権利の発揚。王権の尊重、民族統一の確立、強化。男女の平等、子供の保護。民族文化、教育の発展、アメリカの腐敗文化反対。アメリ力帝国主義がラオス愛国戦線と愛国勢力を一掃し、ラオスを新植民地と戦争挑発の基地に変えラオス人民を彼らの奴隷に変えようとする計画を捨てないかぎり、解放区に対する侵略、破壊の陰謀を粉砕するために闘う。

インドシナとベトナム戦争

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